昨日の続き。
小学校が建つ前はここから歩いて2、3分の近所にあったそうです。
08松陰標柱1ds_400

そこに“吉田松陰ゆかりの地”として“吉田松陰先生昼食の場所”の記念標柱があります。
08松陰標柱3ds_400

木材に書いた筆記は消え、そのうえコンクリートの基礎はひび割れています。全く何の標柱か分からない状態です。
私が小学生の頃あたりまでは柱の筆記が残っていたので“吉田松陰先生昼食の場所”だったことは知っていました。これは昭和25年10月に隣接していた小学校の職員の手により建てられたものだそうで、父は当時小学生のはずですが、訪ねると全く記憶のないとのことです。どんな小学生だったのかと。逆にホッとします。
当時は田中さん家の屋敷だったそうで、その後蒔田小学校敷地となったのですが、現在は松陰と同じ“吉田”さんという方の住家としての所有となっているのも何かのつながりでしょうか。もちろん吉田さん家は古くからこの地域の精農家ですからただの偶然です。
<参考>
松陰の『東北遊日記』によるとこの場所は「川港」で、常に川舟が数10隻集まっていて、米や木材などを十三湖を経由し遠方へ運ばれたそうです。
松陰達は昼食場所から川港へ戻って川舟で中泊町富野集落まで下っています川沿いの2つ目の集落ですが、道が川に沿っていたので舟に乗ったとのことです。
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